二本松市・関元広さん(東京都北区出身)
もともと農業に興味がありましたが、東京のサラリーマン家庭に育ち、大学(農学部)を卒業後は農林水産省に入省しました。2年目に人事交流事業で旧東和町役場の農政課に2年間勤務し現場を見て回ったことで、自分も農業に携わりたい思いが強くなったんです。大量生産・大量消費ではない持続可能な社会を思い描いていたこともあり、なるべく環境に負荷を掛けない方法として有機農業をしたいと思いました。
同僚だった妻(奈央子さん)も同じ思いで、退職後に2人でどこで就農するかをいろいろ検討しました。のちに農業の師匠になってくれた地域の顔役に家と農地を紹介してもらったことで、2006年二本松市東和地区に移住。10年以上放置されていた桑畑を地元の方の力を借りながら開墾し、「ななくさ農園」を開設しました。ここは昔、養蚕が盛んで、蚕の飼料になる桑の葉を農薬を使わずに育てたことから、野菜もほぼ無農薬栽培という土地柄。里山の風景そのものが気になったのもありますし、やはりご縁があって、人のつながりがあるところで就農したいというのが大きかったですね。
就農後の取り組み山砂の多い畑では、最初に土づくりにもなる麦や豆を植えてスタート。農業の基本的な技術は師匠に学びましたが、土壌や日の当たりなど畑ごとに条件が違い、やり方も違うのでマニュアルはないんです。でも体を動かしているうちに自然の摂理が見えてきます。例えば、種をまくなどの作業のタイミングが非常に大事。早すぎると虫がつくし、遅すぎると大きく育たない。適地適作の自然に添うこと、余計な手間を掛けず、だめならすぐに切り替える。そのあたりを見極めながら畑の利用率を上げることが有機農業のコツです。
初めのころ、師匠に「先々の作業を見通しながら動けるようになれば一人前」といわれました。その言葉を実感できるまで10 年掛かりましたね。今はホウレンソウや小松菜などの葉物に、きゅうり、インゲン、大根、トマトなど季節ごとに、3~4種、年間 12、3 種くらい育てています。ハウスも使って収穫時期の計画は立てますが、私は冬場に加温をして育てることはしていません。
経営的には、安定した売り先を確保するために、2011 年に有機農業グループ「オーガニックふくしま安達」を作り、有機農業や有機野菜の価値を共有しながら、まとまった数量を売る仕組みづくりをしました。一人でも好きにできるのが個人農家の魅力ではありますが、地域の持続可能な仕事をするためには連携も必要です。
また農閑期の冬は、ビール(発泡酒)醸造をしています。以前は地元の酒造メーカーに出稼ぎに行っていましたが、自社製造しようと 2011 年(震災前)に発泡酒の醸造免許を取得。「ななくさナノブリュワリー」を設立し、福島の素材も取り入れながら、瓶内二次発酵という方法でオリジナルのビールを造っています。
震災もあってすべて計画通りではありませんが、クラフトビールブームに先んじていたこともあり、おかげさまで好評です。冬場のなりわいを持つことで余裕もでき、春に畑に立つのがより楽しみになりました。何より、自分も飲める楽しみがありますね。
これからの展望移住して有機農業を始めて17 年。何が魅力なのかと言われれば、作業のひとつ一つであり、畑にいること自体が楽しい。手を休めて顔を上げれば、四季折々に変化する美しい里山の風景が広がっていますしね。有機農法が特に大変だとか苦労が多いとは思ったことはなく、むしろ、無理をせず、自然に添って見えてくるものがあってワクワクします。
数年前から刈り取った雑草を集めて積んでおき、肥料にしていますが、始めた当初は思いつきもしなかったこと。昭和20年代らいまで、山の草木は大事な資源でした。例えば萱(かや)は、牛の飼料や田畑の肥料にも使われ、集落で管理していたと聞きます。年配の人たちが、「牛を連れて山を行き来して大変だった。でも楽しかったよな」と口を揃えて言うんですよ。邪魔だった雑草が資源に変わる。アイデア次第で広がるクリエイティブな仕事だと思います。
山も手を入れないと荒れていきます。里山の風景を守り、資源を生かす有機農業とその仕組みづくりが私の次の10年の目標。知恵も資源も循環させ、未来に繋いでいく。それは仲間みんなでやっていきたいと思っています。