扱うぶどうはデラウェアを中心に、シャインマスカット、巨峰、ピオーネ、クイーンニーナなど多種類で、大きなハウスがずらりと並ぶ圃場の風景は見事です。「私たちはぶどうが育つためのお手伝いをしているだけ。」という言葉から竹内さんの仕事への姿勢が伝わってきます。また、ご自身がぶどう園で働く両親の背中を見て育ったこともあり、その立場になった今、「楽しく働く!」ということに重きを置いて経営しています。
島根で生まれ育った竹内さんは、大学は関東へ、卒業後は企業へ就職し広島や東京でのサラリーマン生活を送っていました。子供の頃はぶどう園を継ぐ気持ちなど全くなかったものの、両親が元気なうちに引き継ごう・・という思いがだんだんと膨らみ、平成20年にUターンを決意します。そして島根に戻り、父親の仕事を見よう見まねで学ぶ日々が始まりました。
それから2年後、いよいよ事業を継承する時がやってきました。昔の農家さんたちは、良い意味で「労働対価」という意識がなく、作物に合わせた暮らしをごく当然としてきました。竹内さんも子供の頃は、目が覚めるとすでに両親は畑へ出ていて、また夜も包装作業をしに作業場に戻る、という暮らしが当然でした。休みなく働く両親の姿を見てきたことで、同じように働くことはこれからの現代農業にそぐわない、変えて行く必要があると強く感じたのでした。
これまで両親が二人でやってきた竹内ぶどう園ですが、継承後、従業員を雇うことになりました。次第に従業員が増え、その度にハウスを増設し、収益を上げるとともに圃場を拡大してきました。同時に従業員の安定した労働環境の必要性を実感し、ひいては将来継承してもらえる経営体を目指すようになりました。
4年前から「複合経営」を始めました。ぶどう園の温度管理には重油が必要で、近年その値上がりに頭を抱えていたのです。そこで、ハウスの暖かさを有効利用した複合経営に乗り出しました。メインのぶどう栽培に支障がなく、作業効率の良い作物は何か・・先輩農家さんたちへも相談をしながら考え、「たらの芽」の生産にたどり着きました。ハウスの脇に並んだ棚には、たらの芽がぎっしりと芽吹いていました。秋冬のぶどうの作業が少ない時期に見事に合致した栽培が実現したのです。
複合経営は4年目を迎え、ようやく軌道に乗り始めました。まだまだ他にも可能性があると感じているけれど、本業であるぶどう栽培の妨げになってはいけないので、バランスを考えながら歩みを進めています。そして、竹内ぶどう園は今、農業法人化に向けた準備を進めています。
サラリーマン時代、出張が頻繁で子供と過ごせる時間がないことを悩んでいたときに、自分の子供の頃を思い出しました。そして、いかにして家族との時間を作ることができるだろうか・・そう考えたとき、農業を継ぎ、自ら労働環境を変化させよう!と決意が固まったと言います。こうして、竹内ぶどう園は今、農業法人へ変化の時を迎えています。
「父が亡くなった今も、周囲の方々からは信頼を得ながら、情報交換もさせてもらえることはまさに父が残してくれた人脈です。」また、父と母が経験してきた失敗を含む「絶対的経験」も何よりの強みです。「継承後も手取り足取り教える人ではなかったけれど、失敗しそうになったときに父親の経験からアドバイスをもらえたことにはとても感謝しています。」こうして、竹内さんは2代目として今の時代に合った農業の確立に力を注いでいます。また、楽しみながら働く父親の姿を子供たちに見せたいという思いも大切に日々の仕事に取り組んでいます。
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