食用バラの生産をはじめるきっかけは、田中さんが大学時代に感じた「劣等感」でした。当時の田中さんは、国際政治学部に通いながらファッションやメイクに興味を持つ、ごくごく普通の女子大生でした。そんな中、夢や目標を持って地方から上京してきた友人の姿にハッとさせられたと言います。そこで感じた劣等感が田中さんに火をつけたのです。「私にとっての目標や幸せってなんだろう?」田中さんははじめて人生について真剣に考えるようになりました。
一度きりの人生、何事も元気に楽しめることがいちばん。そして「健康長寿を楽しむこと」に目を向けてみると、人生の中で大半を占める仕事の割合の大きさに気づきました。だからこそ「好きなこと」を仕事にしよう!と決意します。そこで「バラ」につながるのです。田中さんの理想=「なりたい自分」とは、尊敬する曽祖母でした。女手一つで7人の子供を育てあげ、いつもおしゃれで太陽のような存在の曽祖母は凛とした強さと女性らしい美しさを持つ「バラ」が大好きだったのです。それまで農業とは無縁だったものの、食用バラの生産者になると決意した田中さんは、大学を退学し修行の道へと進んだのでした。
大阪で食用バラの生産を学ぶうちに、ふと独立のタイミングがやってきました。農地を探すことからスタートし、暖かい埼玉県深谷市に目をつけました。試行錯誤を繰り返しながら自分の手で食用バラを生産し始めるも、大きな壁にぶつかります。
食用バラの寿命は5日間。育てたバラを生かしきれないことも多く、胸を痛めていたときに、残ってしまった食用バラを冷凍することを思いつきます。それがジャムや化粧品に加工する6次産業化の第一歩となり、やがて業界に、地域に、社会に貢献できる会社を目指すようになりました。
会社の経営については、ビジネス書や農業の衰退について書かれた本をたくさん読み、また異業種のセミナーに参加することで学んだという田中さん。食用バラの加工もジャムに始まり、新たに「化粧品」という市場に進出します。
すでにバラを使用した化粧品が多く販売される中、自社生産のバラという強みを生かし、美容成分を多く含む食用バラの開発を試みたのです。異業種セミナーで学んだ「機能性が求められる時代」に合った商品作りに挑んだのです。
母とふたりでスタートしたROSE LABOは、3年後には従業員がパート含め12人にもなり、食用バラの生産もハウスが6棟=1000坪にも広がりました。5月から10月は食用バラの生産、秋以降寒い時期には商品開発や営業に力を注ぐというスタイルが確立され、まさに会社は安定することができました。
5期目の2019年にはオフィス兼ショップを表参道にオープンし、ユーザーとの交流の場「ファンミーティング」を定期的に開催するようにしたことで、これまで以上にお客様との距離が近くなり、よりニーズに応えられるようになりました。
「ここまでの道のりは決して楽なものではなかったけれど、真剣に自分の作物について考え、考えることをやめず、行動に移してきたからこそ、今があるのだと思います。」これからのROSE LABOについては、天災へのリスクヘッジとして、栽培のフランチャイズ化を目指しているという田中さん。
栽培を任せる農家さんには、安定した収入を得られ、店舗で扱う商品に触れていただくことで喜びを味わってもらいたい、との思いで新たなステージへ向かって前進しています。
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